ハイテク起業大国イスラエルの人たち
三多摩支部 城ヶ﨑 寛
2021年5月イスラエル・パレスチナ紛争のニュースが流れていますが、今回のテーマは紛争ではありません。
サイバーセキュリティの重要性が注目されている今、パートナーとしてイスラエル企業を考え始めている方も増えていると思います。ただ、日本で本当にイスラエル人と交渉したり、一緒に働いたりした経験のある人は少ないのではないでしょうか。 海外ビジネスには相手の国民性を考えることが大切です。イスラエル人の国民性は日本人の感性と180度違うといってよいほど異なります。私の個人的な体験を少しお伝えいたします。
コンピュータの百貨店とまで呼ばれたIBMにいた私がイスラエル企業VocalTecに転職したのは、当時出現したインターネットを商用化して新規事業化し、国内中の顧客に神風的な販売攻勢をかけていた頃です。教育、サービス化から販売に至るいわば企業内ミニベンチャー的な部署でぞくぞくするほど面白い仕事だったのですが、大企業の常で人事異動というものがあり、改めて自分の未来と仕事というものを考え始めていた入社10年目のとき、偶然出会ったのが、IP Telephonyを開発する従業員約300名のイスラエル企業VocalTecでした。
今から考えると、国内でも老舗のヘッドハンティング会社がよくこんな会社を紹介してくれたものだと思います。VocalTecは、米国で上場はしているものの日本にはオフィスを構えたばかりでした。社員は自分と同じくらいの年齢のイスラエル人2人のみです。会社を離れた今もFacebookで付き合いのある彼らは、率直でビジネスライクでいながら、アメリカ人より親しみやすく、同時に情緒的な遠慮なしにやりたい仕事の話だけをする、という印象は今も強く残っています。
当時IBMほどの安定した超大企業を出てこんな小さな会社に転職するのは、とんでもない冒険に思われたでしょう。しかしVocalTecの彼らこそ、遠く国を離れて言葉も習慣も異質で、およそ独特で閉鎖的な文化を持つことでは定評のあった日本にたった二人で飛び込んで支店を設立し、現地の日本人社員を集めて、日本市場に切り込もうというのです。二人のうち一人は女性でした。
インターネットの爆発的普及の追い風の中でも、「電話の技術をインターネットで実現する」という破壊的なイノベーションをもたらす技術を展開しようというこの会社の大胆なコンセプトは、彼らイスラエル人たちの新しいものを恐れないダイナミックさ、失敗を恐れないバイタリティの強さと切り離して考えることはできないでしょう。さらに重要なことは、インターネットの黎明期において、既にIP Telephonyという通信技術とコンピュータ技術の融合を考え、これを実現する実際的な技術を作り始めていたことです。現在コロナ禍で、皆さんが活用されているZoomやMicrosoft Teams、CISCO WebExやGoogle Meetにその技術は生きており、当時のイスラエルの同僚がそうした企業で開発者として技術貢献しています。これらの会社が提供するサービスを支える技術はコロナを機に突如として湧いて出たものではありません。VocalTecのような初期のイスラエル企業たちが、初期のインターネット技術の中からこうした冒険的な最先端技術を開発し、それに時間をかけて改善し、実用化につなげてきたのが、今状況にあわせて花開いたので、彼らの商業活動においては冒険的な一面、技術開発は粘り強く、地道な研究開発を続ける、というユニークな組み合わせによるものです。
こうしてみると、イスラエルのセキュリティやネットワークの技術力の高さは一朝一夕に出来上がったものではなく、こうした長い期間をかけた取り組みによる技術力と裾野の広がりが、現在の先進的なサービスを支えていると、改めて感じます。
小さな芽を大事にできない企業、長期的視野にたって協力ができない企業は、イスラエル企業と付き合うのは難しいといえるでしょう。
1998年の最初のイスラエルでの研修は印象的でした。技術研修を受けたのですが、休みの日には、聖地エルサレムへの観光が準備されていました。砂漠性気候で、昼間は熱いのですが、夜になると冷え込みが激しく、冬では温度が0度近くになることもあり、酔っぱらって外で寝ていると、凍死する危険があるという過酷な環境です。 そんな中でも社内旅行が組まれており、本社ヘルツリーヤ(Herzliya)から、ゴラン高原のふもとにある小川でのリクレーションでは、中東戦争時代の戦車の残骸も残っていたのを覚えています。社員が若くてエネルギッシュだったこともあり、雰囲気も素晴らしく、みんな楽しんでいました。自然体験型レクリエーションは日本では当時はまだ本格的ではなく、会社のレクリエーションといえば日本は飲み会中心の不健康な交流方法でした。社員たちは、日本人の考え方とは怖いくらい異なっています
ひとつは、社会人と学生を繰り返し行き来するというものです。日本では一度大学を卒業すると、再度退職して大学に入りなおすというのは、今でも主流の考え方ではありません。しかし、イスラエルでは、3年から5年周期で若いうちにそのようなことを実践する社員が普通なのです。最近日本でもリカレント教育という言葉で語られていますが、イスラエルでは、約20年前から実践されています。
もうひとつは、退職して米国に移住し、自分の会社を作り、上場もしくはバイアウトに持っていくという考えを持つ社員の存在です。日本でもようやく学生起業家が評価される時代が到来していますが、約20年前のイスラエルでは、すでにそのような考え方が推奨されていたのです。私は中学生の時に日本マクドナルドの初代社長の藤田氏の書いた、「ユダヤの商法」という本を読んでユダヤ人に興味を持ちましたが、世界最強に近い交渉力をもった民族だとその本に書かれていたことを、改めて事実だと身をもって感じたのはこのときです。
私の日本での仕事は、セールス&マーケティングマネージャということで、主として販売代理店経由の商談を担当していました。しかし、代理店の販売力のみでは先端技術の紹介には限界があるため、ハイタッチセールスとして、大手通信会社に対して、VocalTecの技術を紹介しておりました。当時は、VocalTecにドイツテレコムが資本参加しており、イスラエルのプリセールス部隊からの情報によると、ヨーロッパを中心として、旧来の電話交換機ベースの仕組みであるインテリジェントネットワークすべてをIP化するという、現在進んでいるデジタル・トランスフォーメーションのさきがけのようなことに対する関心が盛り上がっていました。H.323というヨーロッパを中心とした標準と、SIPという米国を中心としたデファクトスタンダードがしのぎを削って競争していました。そうした舞台の中心にもVocalTec出身のエンジニアが多数含まれていました。
当時と比べると、日本とイスラエル企業の距離はかなり縮まりました。ハイテク起業大国イスラエルに対して、現在、15の日本のベンチャーキャピタルが進出して投資業務を行い、日本企業の90社が拠点を開設しています。(2016年時点では、ベンチャーキャピタルの数は2社、拠点を開設していた日本企業数は、15社でした。)2018年11月には、総務省が、イスラエル・国家サイバー総局との間のサイバーセキュリティ分野における協力に関する覚書を締結し、ますます深刻化し、社会インフラの安定性にも影響を及ぼす恐れのある重要なサイバーセキュリティ分野での、イスラエルとの技術連携は欠かせないものとなってきております。
こうした連携の際に忘れて欲しくないのは、彼らは歯に衣着せぬ物言いをし、日本人のような当たり障りのないオブラートに包んだような会話は一切しないということです。良いものは良い、悪いものは悪いとはっきりと発言し、逆にこちらがそうした発言をしないことは誠実でないと感じる国民性を持っているということには十分気を付けていただければと思います。