ウクライナ侵攻とトルコの立ち位置
三多摩支部国際部
櫛田正昭
1.はじめに
1-1.ロシアのウクライナ侵攻
約11か月前の2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻を開始しました。西側諸国の政府(外交・軍事・情報当局)は事前にロシアの動きを把握してはいましたが、ついに戦争が現実のものになってしまいました。戦争の状況は、通信技術の進歩もあり、遠く離れた日本の茶の間にいる我々にも即時に報道(フェイクニュースも含め)され、戦争の与える政治的、経済的、地政学的、社会的、人道的影響を直接的に知るところとなっています。
この戦争は実に広く深く、世界の国々、人々に影響を与えています。ウクライナの人々、ロシア人は言うまでもありませんが、周辺国(特に旧ソ連邦だった国々、所謂衛星国等)でも深刻なリスクを認識せざるを得ない状況となっています。またエネルギー、食糧、物流等の問題を通して、世界の人々が深刻な打撃を受けています。
報道によれば、例えば、スエーデン、フィンランドが長く保持していた「中立的な」立場から離れ、北大西洋条約機構(以下NATO)加盟へと動いています。ポーランドや旧バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)は、NATOのメンバーとして、ロシア侵攻に対する備えを一層強化しています。軍事力を使い他国の領土を奪う戦争の経験を欧州の国々は過去幾度となく経験しているのです。欧州だけの話ではなく、人類はその歴史の中で体験してきたところです。
その中にあって、今日のテーマ国であるトルコのエルドアン大統領は、両国の仲介者としての役割を果たそうとしています。米国主導で行われた対ロ経済制裁には参加しないと表明する一方で、2022年の3月には、トルコの地中海に面した都市アンタルヤでの休戦を探る両国外相(ロシアのラブロフ外相とウクライナのクレバ外相)会談の設営、2022年7月には、ウクライナの穀物輸出を可能にするための交渉の仲介役を果たしています。何故、トルコがこのような立場に立とうとしているのか、強い興味を覚えます。積極的な役割を果たすことで、国際社会に存在感を示し、欧米との関係改善に向け自らの立場を強めること、ロシアに対しても貸を作り、その南下に歯止めを打つこと等を考えていることが想像できます。
1-2. 私にとってのトルコ
私の実際のトルコに関する今までの経験はごく限られたものです。
前職の金融機関勤務の時、ロンドンを拠点にトルコもカバーし何回か出張した際、仕事の合間に観光スポットを訪れたことがありました(首都アンカラとイスタンブール)そして中小企業診断士の資格を取った後に、中小企業診断協会東京支部の主催する「トルコ研修ツアー」に参加した程度です。
後者の海外ミッションでは、現地で活動されているJetro事務所、商社の事務所、日本から進出している企業の工場訪問の外、トルコ政府の投資支援推進機関、トルコの経済団体PASIADとの会議・打合せの機会があり、その時のトルコ経済・社会についての理解を深めたところですが、すでに14年の歳月がたち状況は大きく変わっていると思われます。
このコロナ禍が終息し、ロシアのウクライナ侵攻に何らかの決着が見えた折には中小企業診断士として、日本企業のトルコ進出のお手伝い、JICA、Jetro等を通した活動またはトルコ企業の日本進出の支援等に積極的に関与できる日が来ると思われます。
今回は、エルドアン大統領のトルコがなぜ仲介役を買って出ようとしているのか、そして何を考え、何ができそうなのかを見ていくための準備としてトルコの現状を整理してみました。
2.トルコ概要
2-1. 地勢、民族、言語、宗教
トルコは、文明の十字路・アジアとヨーロッパの交わるところ(人的交流、交易)と言われてきました。地理的には、国土の97%を占めるアジア大陸側の小アジア半島(アナトリア)と3%のヨーロッパ側のトラキア(イスタンブールがある)から成り立っています。北は黒海、南は地中海、西はエーゲ海に囲まれています。黒海からエーゲ海に出るにはボスポラス海峡、マルマラ海、ダーダネルス海峡を通過しなければなりません。トルコは条約に基づきこの地域の管理権を握っているのです。
面積は約78万平方メートルで、日本の約2倍です。高地、山地が多くを占めますが、アナトリアの平野部には広大な肥沃な土地が広がっています。
人口は2021年の国家統計庁の数字では、84.7百万人。多民族国家であったオスマントルコ帝国(1299-1923)のもとでは民族や出自に対する意識は希薄であったようで、トルコ共和国設立の際は、トルコ語を母国語とする人がトルコ人とされたといいます。人口構成はまだ若年層に厚く、中央年齢は33.1歳となっています。
宗教面では、国民の99%はイスラム教徒です。ただ、憲法で宗教の自由が認められています。トルコのイスラム教は穏健なイスラム教であり、一日のお祈りの回数、飲酒、たばこに対する姿勢は緩いと言われています。
2-2. 歴史、政治制度、外交
1299年に成立したオスマントルコ帝国は、最盛期にはバルカン、アナトリア、メソポタミア、北アフリカ、アラビア半島にまで及ぶ大帝国に発展したものの、1914年、同盟国側に立って第1次大戦に参戦し敗戦国となりました。1919年~1922年の祖国解放戦争を経て、ローザンヌ条約に基づき1923年10月29日トルコ共和国が建国されました。初代大統領ケマル・アタテュルクは、スルタン制を廃止という体制改革と近代化を推進しました。
政体としては、2018年6月24日以降、一院制の議会のもと、大統領に行政権限を集中させた実権型大統領制をとっています。
外交の基本方針としては、トルコは、欧州、中東、中央アジア、コーカサス地域の結節点という地政学的に重要な要衝に位置しているので、多角的な平和外交を基調としています。欧米との協調関係が基本姿勢としています。
1932年に国際連盟に加盟、第2次世界大戦後、国際連合の創設メンバーになっています。1952年に NATO加盟、2005年にはEU加盟交渉開始していますが、加盟交渉は停滞しています。
その他OECD(経済協力開発機構)、WTO(世界貿易機関)等多くの国際機関、地域協力期間のメンバーになっています。
2-3 経済
トルコの名目GDPは2021年実績で8,070億ドル、2022年見込で8,080億ドルと見込まれています。トルコ経済はコロナ禍の間もマイナス成長にはなりませんでしたが、2022年には、ウクライナ危機の発生により、EUの景気が減速による輸出減少と資源価格高騰等による輸入増が予想され、実質GDP成長率は、2021年の11.8%から大きく落ち込む(5%程度)と予想されています。
一人当たりの国民所得は、2021年9,592ドル、2022年見込出9,485ドルとなっています。2023年には、1万ドルの大台乗せを目標としています。
財政赤字は、2020年にGDP比で3.5%に拡大しましたが、2021年は、2.7%まで縮小しました。然し2022年度は「トルコリラ預金保護スキーム」等為替相場安定に係る支出の拡大が予想され、最終的には2021年を上回る赤字幅が見込まれています(5.9%)。
対外収支に関しては、経常赤字は2020年にはGDP比で3.5%に拡大したが、2021年は一旦、GDP比1.7%と改善しました。然し2022年には、ウクライナ危機による欧州景気の減速による輸出の鈍化、資源価格の上昇等による輸入の増加により貿易収支が大幅に悪化し、観光収入の改善は期待されるものの、経常赤字は再度拡大(GDP比5.9%の見込み)するものと見込まれています。
外国人観光客は、コロナ禍により2020年は激減したが、その後、中東産油国からの来訪客の取り込み等を図り増加基調にあります(2022年は340億ドルの見込み)
<数字は主としてトルコ国家統計庁発表の2021年数値>
トルコの産業構造は、対GDP比でみると、サービス業(52.7%)、製造業(22%)、工業(31.1%)、農業(5.6%)(2021年 世銀)と既にサービス業が過半を占める構造。
総貿易額は(1)輸出 2,252億ドル、(2)輸入 2,714億ドル。
主要貿易品目及び構成は、
(1)輸出 自動車・部品(11.1%)、機械類(9.2%)、鉄鋼(7.6%)、電気機器・部品(5.3%)
(2)輸入 燃料及び鉱物油類(18.7%)、機械類(11.4%)、鉄鋼(10.2%)、電気機器・部品(7.4%)
主要貿易相手国は、
(1)輸入 中国(11.9%)、ロシア(10.7%)、ドイツ(8.0%)…日本(1.6%、第14位)
(2)輸出 ドイツ(8.6%)、米国(6.5%)、英国(6.1%)…日本(0.2%、第71位)
対日輸出額は、5.2億ドル、対日輸入額 43.9億ドル
日本の地位は、現状、地理的な条件もあり、まだ高い位置を占めていません。
日本からの対トルコ直接投資額は、1.13億ドル(2020年)
トルコは日本企業にとって、国内市場に加え、EU及び近隣諸国市場への生産拠点として注目が高まっており、また、消費市場の拡大に伴い販売拠点の設立も相次いでいます。特に近年企業の進出や現地法人化の動きが加速しており、業種もこれまでの商社、建設、製造業に加えて、金融、食品、医療、報道・出版など多岐にわたっています(JetroのHPのコメント)。
トルコ在留邦人数は、1,727名(外務省在留邦人数統計 2021年10月)
在日トルコ人数は、6,087名(2021年6月末 在留外国人統計(法務省)
2-4. 観光、料理
トルコには多くの観光資源があり(ユネスコ世界遺産19箇所。無形文化遺産15件)その観光収入は2022年の見込みで340億ドルと多額に上り、国の国際収支に大きな貢献を果たしてきています。見どころの案内は、長い歴史のあるイスタンブール歴史地域、カッパドキア岩窟群、トロイア遺跡等々多数ありますが、今回報告では残念ながら省略します。
トルコ料理は、世界3大料理の一つと言われており、東西文明の十字路、オスマン帝国の繁栄等を考えればうなずけます。この料理の話も次の機会にいたします。
2-5.当面の課題
トルコは次記の課題を抱えています。
①小麦・エネルギー市場価格の高騰
・小麦市場価格の変動:一時大幅な値上がりをしましたが、ウクライナの輸出が再開したことにより落ち着きを取り戻しています。ロシアのウクライナ侵攻が続く限り不安定要因であることには変わりがありません。
・エネルギー市場価格、供給:トルコはエネルギー源の約6割を石油と天然ガスの輸入により賄っています。ロシアからは、天然ガス需要の45%、石油の17%をパイプで輸入しており、全エネルギーの17%をロシアに依存しているとのことです。常にロシアからの政治的圧力の対象になる可能性があります。
②高インフレと低金利政策と大幅な為替安
・2021年秋以降、高インフレが続いています(2022年9月には前年比+84%)。輸入依存度の高いエネルギー関連は100%以上、食品、被服等は70%を超え、物価上昇が企業・家計に大きな影響を与えています。これに対して、政府は、低金利策を強行しており、大幅なトルコリラ安を招いています。(2021年1月23日:7.415トルコリラ/ドル→2022年1月23日:13.440トルコリラ?/ドル→2023年1月22日:18.795トルコリラ/ドル)
又政府はトルコリラ下落防止を目指して「トルコリラ建て預金保護スキーム」を導入しましたが、効果が一時的であること、為替差損の補填による財政収支悪化要因となるとして専門家からは懸念が出ています。トルコリラの低落は大きなリスク要因となっています。
③クルド人問題
④諸外国との間の地政学上のリスク
・ロシア:最大のエネルギー輸入先。ロシアの支援するシリアでのシリア系クルド人問題。
・EU:EU加盟問題。フィンランド、スウェーデンのNATO加入問題。両国内クルド人問題。ギリシャ・キプロスとの間の領海問題。
・米国:ロシアから購入したS400対応。シリア系クルド人問題。ギュレン運動(トルコ内のイスラム復興運動)。
・サウジアラビア:正常化へ。
・リビア:軍隊派遣
・中国: 2010年以降「戦略的協力関係」を構築。2012年に上海協力機構の対話パートナーとして参加
3.親日国トルコ
トルコ国民は親日的であるとよく言われています。そのきっかけが1890年のエルトゥールル号事件です。
3-1. エルトゥールル号事件
1887年に、小松宮彰仁親王・同妃両殿下が、欧州訪問の帰途に欧州列強の介入とロシアの圧迫に直面するオスマン帝国を公式訪問したことに対する答礼として、アブデュル・ハミト2世が特使としてオスマン提督を日本に派遣した際、エルトゥールル号が帰路、紀州・串本沖で沈没、乗組員581名が死亡しました。日本側官民あげての手厚い救護により69名が救助され、日本の巡洋艦によりトルコに送還されました。この事件はトルコの歴史教科書で教えられており、日本人が献身的にトルコ人を救ってくれたとの思いは今でもトルコ人の心にあるといいます。この事件をベースにして、2015年には両国政府支援による日トルコ合作映画「海難1890」が制作されています。
3-2. テヘラン邦人救出劇
1985年3月、イラク・イラン戦争の中、テヘランで孤立した邦人を救出するためにトルコ政府がトルコ航空の特別機を派遣した出来事も、両国の友好関係の象徴的出来事です。
3-3. 震災緊急救助隊
1999年のトルコ西部で起きたイズミット地震の時には、日本からは緊急援助隊の派遣及び236億円の緊急復興借款の供与を行いました。また2011年の東日本大震災ではトルコから緊急援助隊が派遣されました。この時のトルコの緊急援助隊は他のどの国よりも長く救助活動にあたってくれたといいます。
4.結び
今日現在では、ロシアのウクライナ侵攻がどういう展開になるのか、いつまで続くのか、どういう形で終局を迎えるのかは全く見当もつきません。専門家による分析・予測はあると思いますが。
私たちにできることの一つは、戦争の状況を広い視野で認識し戦後に備えることだと思います。関係する各国の現況とこの戦争の与える影響を把握して、日本の企業が戦後の体制の中でどのような役割を果たせるのかよく見て、可能であれば活動につなげていくことが大事だと感じています。トルコは、重要な対象国の一つと考えています。今後共強い関心を持ってフォローしていきたいと思います。
<出典>
公益財団法人 国際通貨研究所 国際通貨研レポート トルコ経済情勢
~ロシア情勢などの影響を踏まえた今後の見通し~
安全保障と危機管理Vol.56
外務省、Jetro、JICA、串本町、日本経済新聞社、NHK等のウェブサイト。